SKI MAKER GUIDE
主要スキーメーカー 深掘り特集 — ブランドの歴史・技術・企業背景
日本最古のスキーメーカーとして知られるオガサカスキー。日本にスキーが伝来した翌年の1912年、小賀坂浜太郎が長野県でその歴史をスタートさせた。以来100年以上にわたり、自社工場での一貫生産にこだわり続けている。
オガサカの最大の特徴は「ものづくり」への徹底したこだわりだ。コアとなる木材は、長野の冷涼な環境で厳選され、熟練の職人が手を加えて仕上げる。素材の組み合わせにはパウロニア(キリ)、クルミ、ポプラ、カエデ、ブナなどが使われ、モデルによって最適な配合が異なる。一説には、芯材を3年間かけて管理された環境で乾燥させてから加工するという。
製品ラインナップはKEO’S(ゲレンデ向け)、UNITY(オールマウンテン)、TRIUN(競技)、TC(技術選手権向け)、E-Turn(パウダー向け)と明確に整理されており、「少ないモデルを、極めて高いクオリティで」という哲学が貫かれている。北米や欧州での知名度は大手ブランドに及ばないものの、品質の高さに気づいたスキーヤーには熱狂的なファンが多い。
1955年にアロイス・ロールモーザーによってオーストリア・アルテンマルクトで創業。現在は世界最大のスキーメーカーとして、年間数十万ペアを生産する。ザルツブルクから南へ60kmほどのポンガウ渓谷に本社を構え、アルパインスキーとノルディックスキーをほぼ同じ場所で設計・製造している。
競技、デモ、フリーライドと幅広いラインナップを持ち、ワールドカップでも常に上位を争う存在。1989年にはスキー板・ビンディング・ブーツ・ポールを初めて一括提供する「ワンストップサプライヤー」となった先駆けでもある。2008年に発表した「Doubledeck」は、スキーヤーのスタイルと雪質に応じてラジウスとフレックスが自動的に変化する革新的な技術だ。
同グループ:Salomon、Armada、Arc’teryx、Wilson、Peak Performance など。2018年に中国の安踏体育用品(ANTA)がアメアスポーツを買収。ATOMICのスキーはSalomonやARMADAのスキーと同じオーストリアのアルテンマルクト工場で生産される。
製造への投資も惜しまない。アルテンマルクト工場では空気質を常時モニタリングするなど環境基準を高く保ち、2020年のHigg FEM(施設環境)監査では「大気排出」部門で100点中95点を獲得している。
1947年、フランス・オート=サヴォワ県アネシーで、フランソワ・サロモンが妻ジャンヌ、息子ジョルジュとともに小さな工房を開いた。最初の製品はのこぎり刃とスキーエッジ。後継者となったジョルジュが卓越したエンジニアリングのセンスでブランドを世界的な存在に押し上げた。
特に革新的だったのがスキービンディングの分野だ。1955年には解放式トゥーピース「Skade」を、1957年には世界初のヒールが解放するビンディング「Le Lift」を開発。1972年には世界No.1のスキービンディングメーカーとなった。その後1979年にはリアエントリースキーブーツ「SX90」を発表し、スキーブーツ市場にも参入。1991年にはモノコック構造のスキー板でスキー市場にも本格進出し、スキー・ブーツ・ビンディングを自社で揃えるシステムブランドへと進化した。
1997年にアディダスが約14億ユーロで買収。2005年にアメアスポーツへ売却され、2018年にはアメアスポーツごとANTAの傘下へ。現在はATOMIC、ARMADAとともにアルテンマルクトの工場でスキーを生産している。一方でデザインセンターはアネシーに残り、「フランス生まれ」のDNAが脈々と続く。
同グループ:Atomic、Armada、Arc’teryx、Wilson、Peak Performance など。
1924年、オーストリア・ザルツブルク近郊のリート・イム・インクライスで、馬車職人のヨーゼフ・フィッシャーが創業。最初は馬車や木製品を製造し、のちにスキー製造へと転換した。スキー業界の大型再編が相次ぐ中、創業100年を超えた今もなお創業者一族が100%株式を所有する数少ない独立系メーカーである(2002年に一族が株式を買い戻し、完全非公開化)。
1970年代初頭には世界最大のスキーメーカーとなった時期もある。繊維強化プラスチック(FRP)を採用した「Europa 77」はスカンジナビア市場を席巻し、1976年にはフランツ・クラマーがフィッシャーのC4スキーでオリンピック金メダルを獲得した。
日本ではゴールドウィンが輸入・販売を担当。競技志向の強いラインナップが特徴で、特にアルペン競技とノルディック競技のシーンでは絶大な支持を受けている。ウクライナのムカチェヴォにも大規模な工場を持ち、オーストリア本国との分業体制でグローバルな生産を行っている。
航空エンジニアだったハワード・ヘッドが1947年のスキー旅行で「木製スキーへの違和感」を覚え、航空機製造で培ったアルミニウムとプラスチックの積層技術をスキーに応用しようと決意。仕事を辞め、ポーカーで稼いだ資金を元手に約40回の試作を経て、1950年に初の量産モデル「Head Standard」を300ペア完成させた。
この「Head Standard」は木製スキーより圧倒的にターンしやすく、1960年代には米国市場の50%以上を占めるまでに成長。1969年にはAMFに売却し、ハワード自身はテニスへの情熱に転換。テニスラケットの革命(アルミフレームのオーバーサイズラケット)でも時代を塗り替えた。
現在はオランダ法人(HEAD N.V.)がグループの持株会社で、オーストリア・ケネルバッハが実質的な本拠地。スキーとテニスの二大看板ブランドとして世界展開しており、テニス選手のノバク・ジョコビッチが長年HEADのラケットを使用してきたことでも広く知られている。
1923年12月1日、バイエルン州シュトラウビングで創業。当初はボート、ソリ、馬車などを製造し、息子のゲオルクが1923年に初のスキーを製作。現在も創業の地シュトラウビングで製造を続けており、「Made in Germany」にこだわり続ける唯一の大手スキーメーカーだ。工場は地元のヘルレンシュタイン湖の水力発電所から100%再生可能エネルギーの供給を受けており、環境への取り組みでも先進的だ。
1973年には看板モデル「Renntiger(レーシングタイガー)」を発売。現在の「Racetiger」として受け継がれるこのシリーズは、半世紀以上にわたりワールドカップの表彰台に立ち続けてきた。
ビンディングのMarkerは1952年、ブーツのDalbellaは1974年創業のイタリア企業。K2グループとともにKohlberg & Company(米プライベートエクイティ)傘下のElevate Outdoor Collectiveを形成。
かつてK2がJarden社に、JardenがNewell Brandsに買収されたのに伴い、VolklはMarker・Dalbellaと共にいったんJarden→Newell傘下を経て、2017年にKohlberg & Companyが切り出してElevate Outdoor Collectiveとして再編した。
1907年、フランス・イゼール県ヴォワロンで大工のアベル・ロシニョールが創業。彼はスキーへの情熱が高じ、繊維産業向けの木工品製造から転じてスキー板の生産を始めた。「Rossignol(ロシニョール)」はフランス語でナイチンゲールを意味するが、これは創業者の苗字をそのまま使ったもので、鳥の象徴は必ずしも商標に一貫して用いられてきたわけではない(現在のロゴはフランス国旗をモチーフにした青・白・赤の雄鶏)。
1937年、3冠世界チャンピオンのエミール・アレがロシニョールのスキーで活躍し名声を確立。1956年にローラン・ボワ=ヴィーヴがブランドを買収してから急拡大し、1970年代には世界最大のスキーメーカーへと成長。1964年に発売した「Strato」は世界初の100万本販売を達成したスキーとなった。
2005年にサーフウェアブランドのクイックシルバーが5億6000万ドルで買収するが経営悪化により2008年に売却。その後CEOのブルーノ・セルクレが率いる買収グループが1億4700万ドルで取得し、2013年にはスウェーデンのAltor Equity PartnersとBoix-Vives家族が現在の所有者となっている。
第二次世界大戦終結直後の1945年、大工職人のトニ・アルンシュタイナーが家族の木工工房でスキーの製造を始めた。1948年には「グロックナー・スキー」として自社モデルの生産をスタートし、1953年に「Blizzard」の商標を正式登録。これがブランド誕生の瞬間とされる。
1954年には世界で初めてポリエチレンソールの量産に成功。現在「P-Tex」として知られる素材のルーツとなった革新で、スキー業界全体の方向を変えた。1957年にはメタルとファイバーグラスをスキー素材として先駆的に採用するなど、技術革新のDNAは今も受け継がれている。
2006年にイタリアのテクニカグループが買収。ミッタージルの工場はNORDICAのスキーも生産する「テクニカグループ スキーエクセレンスセンター」となり、現在は日産930ペアのペースで生産する世界有数の工場に生まれ変わっている。現行の「Bonafide」「Black Pearl」シリーズは全米スキーテストでも毎年上位を独占する人気モデルだ。
1939年10月、皮なめし業者として豊富な経験を持つヴァッカーリ兄弟(アドリアーノとオッドーネ)がモンテベルーナで登山用ブーツの製造を開始。戦後にスキーブーツに特化し、1950年にはイタリアのスキー選手ゼノ・コロがノルディカのブーツでアスペン世界選手権のダウンヒル・大回転で2冠を達成。これがブランドの名声を世界に広めた。
1980年代には世界最大のスキーブーツメーカーへと成長。1989年にはベネトングループが1億2000万ドルで買収したが、ベネトン傘下で無謀な多角化(ロールブレード、プリンス等)が進んだ結果、業績が悪化した。2003年にテクニカグループが買収し、現在に至る。
現在も競技スキーへの投資は厚く、南チロル出身のドミニク・パリスらがノルディカのスキーで世界を転戦している。
第二次世界大戦中、スロベニアのパルチザン部隊がスキーを生産するための工房として誕生。1945年に旧ユーゴスラビアの国有企業として本格的な製造を開始した。東側諸国の企業でありながら、世界最強のスキーヤーのパートナーとなった逆説的な存在だ。
スウェーデンのインゲマル・ステンマルクが1974年にエランのスキーを試乗し気に入り、以降全キャリアを通じてエランのスキーで滑った。ステンマルクは1976〜1978年の3年連続総合ワールドカップ優勝を含む生涯86勝を全てエランとともに達成。当時の工場労働者たちが、ステンマルクへの高額なスポンサー契約を投票で承認するか否かを議論したというエピソードは、共産主義時代のユーゴスラビアを象徴する逸話として語り継がれる。
戦後、カーシュナー家がヴァション島で研究用ケージや副木をファイバーグラスで製造する会社を経営していたのが始まり。1961年に創業者ビル・カーシュナーが借り物のスキーを型にしてファイバーグラス製スキーを作ったのが出発点。1964年に最初の250ペアを市場に投入し、1967年にビルが会社を「K2」と命名した。名前の由来は世界第2位の高峰「K2峰(中国・パキスタン国境)」と、カーシュナー兄弟2人の頭文字「K」+「2人」の双方だ。
赤・白・青のストライプが印象的なビジュアルアイデンティティは米国スキー界のアイコンとなり、フィル・マーレ兄弟(1984年五輪金・銀メダル)やグレン・プレイクなど伝説のライダーを輩出。1990年代にはBode Millerがジュニア選手権でK2 Fourを使い注目を集め、シェイプドスキー(カービングスキー)の普及にも貢献した。
2002年、タナー・ホール、JP・オークレア(故人)、JF・キュッソン、ジュリアン・レニエ、ボイド・イーズリーの5人のプロスキーヤーと、フォトグラファーのクリス・オコネル(”OC”)が設立。スケートボードやサーフィン、スノーボードから着想を得て、「ライダーが作り、ライダーが動かすスキーブランド」を目指した。最初の製品はARVとAR5の2モデルのみ。
「スキーがなにになるか(What skiing will become)」というビジョンを掲げ、従来の大企業がレース技術の延長でフリースタイルモデルを作っていた時代に、純粋にフリースキーのために設計されたスキーを打ち出した。創業時はカリフォルニア州コスタメサに拠点を置き、サーフィン・スケートの文化的DNA を吸収した。
製造開始当初からアトミックの工場(オーストリア)で生産委託しており、2017年のアメアスポーツによる買収(約410万ドル)後もその体制は継続。ATOMICやSalomonと「スキー家族」として同じ工場の恩恵を受けつつ、ブランドのDNAは独自に保たれている。
2006年にコロラド州で誕生したフリーライドスキーブランド。スキー板のトップシートに施される独自の美麗なアートワークが最大の特徴で、コレクターズアイテムとしての側面も持つ。フリースタイラーやパウダーハウンドから熱狂的な支持を受けており、「乗れて飾れるスキー」として一線を画す存在だ。ラインナップはパウダー・フリーライドに特化しており、デザインと性能の両立を追求している。
老舗国産メーカー・オガサカスキーが2011年にデビューさせたフリースタイル専門ブランド。「一陣の風のごとく軌跡を刻む=BLASTRACK」というブランドコンセプトのもと、すべてのモデルに天然ウッドコアを採用している。ファイバーグラスやカーボンを駆使しながらも木の乗り味を活かす設計思想は、オガサカ100年の積み重ねがあってこそ。国産フリースタイルスキーブランドとして、ゲレンデでも独自のポジションを築いている。
スイスのスキーリゾート、ヴェルビエを拠点として2006年に設立されたフリーライドスキーブランド。「世界最高のスキーエリアのど真ん中で生まれた」という地理的バックグラウンドが、ブランドのDNAに深く刻まれている。フランスの伝説的プロスキーヤー、キャンディード・トーベックスのシグネチャーモデルが一時代を築いた。世界有数のフリースタイラーたちのシグネチャーモデルを展開しつつ、独立系ブランドとしてのアイデンティティを守り続けている。
2002年、プロフリースキーヤーのマット・スターベンツが「スキーヤーのために、スキーヤーが作る」というコンセプトを旗揚げ。フリーライド、パウダー、オールマウンテンに特化したラインナップで、独自のこだわりと高い品質管理が評価されている。大手に比べれば知名度は低いものの、玄人スキーヤーの間で根強いファンを持つブランドだ。
1995年、バッファロー大学でプロダクト&グラフィックデザインを専攻していた21歳のジェイソン・レヴィンソルが、大学の木工室でコールマンストーブを使って銅管に熱湯を流し、エポキシを硬化させるという原始的な方法で初のツインチップスキーを手作りした。卒業後、実家の車庫でLINE SKISを創業し、1996年冬には1人で1日1ペアのペースで生産していた。
雪板(スキーボード)でX-Gamesに出場して注目を集め、1998年には全長193cmのツインチップ「Ostness Dragon」をリリース。これがパウダーマガジンの表紙を飾り、ツインチップスキー初の雑誌表紙として業界の概念を変えた。スノーボードに押されて衰退しかけていたスキーを「もう一度面白く」させた立役者のひとつといえる。


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